脚―動く、幸せ。
今日、バスから降りて家まで歩いている時、
ふと足を見て、
ー生きてる
と思った。
生きてるって、動いている、っていうこと。
それは物理的に動いていれば分かりやすいけど、
そうじゃなくても、頭が動いている、心臓が動いている、胸が上下する、
まぶたが動いている...そんな微かな動きでも、それだけで十分生きている。
僕の祖父は生まれた時から足が不自由で、
ずっと車いす生活をしていた。
だから、僕みたいに、ふと動いている足を見て「生きてる」と思う経験はなかったかもしれない。
でも、彼は、ものすごく手先が器用でよく僕に凧を作ってくれたり、
習字を教えてくれた。
その、滑らかに動く手を見るたびに、僕は祖父が「生きている」と鮮やかに感じていた。
当たり前は、実は当たり前じゃないこと。
忘れがちだけど忘れちゃいけないこと。
僕は、石のように白く、冷たくなった祖父の手を覚えている。
動かなくなった、彼の手を。
動く、それだけがどれだけ幸せなことか、信号の明かりの下でせわしなく、
振り子のように前後する脚に、感謝。